年を重ねてから、ピアノを始めると
まず、高齢の方が新しくピアノを習うと何が起きるのかを、比較的強い方法で調べた研究があります。Bugos らの 2022 年の研究は、60〜80歳の115名を、グループでのピアノ訓練を受ける群・パソコンを使った認知トレーニングを受ける群・しばらく何もしない待機群の3つに、くじ引きのように無作為に割り付けました(無作為化比較試験、RCT)。
ここで大切なのは、「何が」伸びたかを丁寧に見ることです。16週間ののち、ピアノ群だけが他の2群より伸びたのは、言葉をカテゴリーごとに素早く切り替えて挙げる課題(言語流暢性の切り替え)でした。一方、ワーキングメモリ(短い時間、情報を頭に保っておく力)や、情報を処理する速さは、ピアノ群でもパソコン認知訓練群でも同じように伸びていて、これらはピアノに固有の効果とは言えません。加えて、音楽に取り組むうえでの「自分にもできる」という自信(自己効力感)の向上も報告されています。パソコン認知訓練という「能動的な統制群」を置いたおかげで、「ピアノだからこそ」の部分と「何かに取り組めば得られる」部分を切り分けられた——そこが、この研究のいちばんの価値です。
とはいえ、ピアノに固有の効果として示されたのも、あくまで訓練で使う課題に近い認知の力でした。これが日常生活の場面まで広がるのか、まして「認知症を防ぐ」といった遠い話につながるのかは、この研究の範囲外です。
STUDY 01 / RCT(無作為化比較試験・2つの統制群)
Bugos J.A. et al. (2022). Piano Training Enhances Executive Functions and Psychosocial Outcomes in Aging: Results of a Randomized Controlled Trial. The Journals of Gerontology: Series B, 77(9), 1625–1636.
60〜80歳の115名をピアノ群・パソコン認知訓練群・待機群に無作為割付。16週間後、ピアノ群だけが伸びたのは言語流暢性の切り替え課題で、ワーキングメモリと処理速度はピアノ群・パソコン訓練群の両方で向上した(ピアノに固有ではない)。音楽に取り組む自信(自己効力感)の向上も見られた。
この研究が言えること:能動的統制群を含むRCTのため、ピアノに固有の効果(言語流暢性の切り替え)を、活動一般の効果から切り分けやすい。言えないこと:ピアノ特異的な効果は一部の指標に限られ、伸びたのは訓練課題に近い力。実生活への波及や認知症予防は追跡対象外。参加者や評価する人に群を伏せること(盲検化)は、こうした行動の介入では完全にはできない。
こころとの、しずかなつながり
音楽は、認知だけでなく気分やこころにも触れます。Seinfeld らの 2013 年の研究は、60〜84歳の方々に4ヶ月間ピアノを学んでもらい、ほかの余暇活動(体操や絵画など)を行う群と比べました。ピアノ群では、注意を切り替える課題の成績に加えて、抑うつ(よくうつ=気分の落ち込み)が減り、気分と生活の質(QOL)の向上が見られました。
ただし、この研究は参加者を無作為に割り付けていない準実験です。もともとピアノを選ぶ意欲のあった人が集まっていた可能性があり、「ピアノが気分を良くした」と因果の向きで断定することはできません。人数も29名と小さく、評価する側が群を知っていた点も割り引いて読む必要があります。それでも、「奏でる時間が、こころの調子と結びついていた」という関連が観察されたことは、そっと背中を押してくれる知見です。
STUDY 02 / 準実験(非ランダム化・能動的統制群あり)
Seinfeld S. et al. (2013). Effects of music learning and piano practice on cognitive function, mood and quality of life in older adults. Frontiers in Psychology, 4, 810.
60〜84歳の29名で4ヶ月のピアノ学習群と他の余暇活動群を比較。ピアノ群で注意の切り替え、抑うつの低下、気分と生活の質(QOL)の向上が見られた。
この研究が言えること:気分・QOLまで含めて音楽学習と正の関連を観察した。言えないこと:無作為に割り付けていないため因果は主張できない(もともと意欲のある人が集まる偏りが残る)。小規模で、評価する人が群を知っていた点も限界。
「音楽は認知症を防ぐ」は、どこまで言えるのか
ここが、この記事でいちばん慎重に扱いたいところです。楽器演奏と認知症の関係は、多くが観察研究——ある集団を長く追いかけて、後の発症との関連を見る研究——で調べられています。有名なのが Verghese らの 2003 年の研究(医学誌 NEJM)で、楽器演奏を含む知的な余暇活動を多くしていた高齢者ほど、その後の認知症のリスクが低い、という関連が報告されました。
関連はたしかにあります。けれど、これを「音楽をすれば認知症を防げる」と読むのは、科学的に行きすぎです。観察研究には、いくつかの避けがたい落とし穴があるからです。ひとつは逆の因果——まだ症状の出ていない認知症の初期にある人が、知らず知らず活動から遠ざかっていた可能性。つまり「音楽をやめたから認知症になった」のではなく「認知症が始まっていたから音楽をやめていた」かもしれない、という逆向きの説明です。もうひとつは交絡(こうらく)——教育歴や経済的な余裕、もともとの知的な習慣といった「別の要因」が、音楽活動と認知症リスクの両方に影響していた可能性です。
複数のコホート研究を統合した Arafa らの 2022 年のメタ分析でも、楽器演奏と認知症の低リスクの関連は示されました。ただし、統合できた研究はわずか3本で、統計的な確からしさの幅(信頼区間)は「効果なし」のすぐ手前まで届いており、境界的です。「○○%リスクが下がる」という数字だけが独り歩きしやすいテーマですが、私たちはその断定をしません。
STUDY 03 / 前向き縦断コホート(観察研究)
Verghese J. et al. (2003). Leisure Activities and the Risk of Dementia in the Elderly. New England Journal of Medicine, 348(25), 2508–2516.
75歳超の高齢者469名を追跡し、楽器演奏を含む知的な余暇活動が多い人ほど、その後の認知症リスクが低いという関連が見られた。
この研究が言えること:活動の多さと後の認知症リスクの低さに、時間的な先行を伴う相関がある。言えないこと:観察研究のため因果は不明。逆因果(症状が出る前の段階で活動が減っていた可能性)や交絡(教育歴・経済状況)を排除できず、楽器単独の寄与も特定できない。
STUDY 04 / メタ分析(前向きコホート3本の統合)
Arafa A. et al. (2022). Playing a musical instrument and the risk of dementia among older adults: a systematic review and meta-analysis of prospective cohort studies. BMC Neurology, 22, 395.
楽器演奏と認知症の低リスクの関連が示された(統合ハザード比 0.64=発症のリスクがおよそ4割低いという計算。ハザード比は1.0で「差なし」を意味する)。ただし統合できたのは3研究のみで、確からしさの幅(信頼区間)の上限は 0.98 と、「差なし」のすぐ手前まで届いている。
この研究が言えること:複数コホートで一貫した「相関」がある。言えないこと:研究数が少なく境界的で、すべて観察研究のため因果は言えない。「4割減」といった断定的な数字の見出しは避けるべき。
都合の悪い結果も、いっしょに見る
肯定的な研究だけを並べるのは、私たちのやり方ではありません。高齢者を無作為に割り付けた、質の高い研究の中には、効果が限られていたものもあります。Johnson らの 2020 年の研究は、平均71歳の高齢者390名を、地域の合唱に参加する群としない群に無作為に割り付けました(クラスターRCT)。
6ヶ月後、合唱群では孤独感が減り、生活への関心が高まりました。これは意味のある良い変化です。けれど同じ研究で、抑うつ・認知機能・身体機能には、はっきりした差は見られませんでした。つまり、音楽的な活動が「こころのすべてを底上げする」わけではなく、効くところと、そうでないところがある。そしてこれは、はじめに見たピアノのRCT(STUDY 01)にも当てはまります。あそこではっきり伸びたのも、訓練に近い一部の課題に限られていました。良い面だけを取り出さず、この「効かなかった指標」もそのままお伝えするのが、誠実さだと考えます。
STUDY 05 / クラスターRCT(反証・限定的な効果)
Johnson J.K. et al. (2020). A Community Choir Intervention to Promote Well-Being Among Diverse Older Adults: Results From the Community of Voices Trial. The Journals of Gerontology: Series B, 75(3), 549–559.
平均71歳の390名を合唱参加群・非参加群に無作為割付。6ヶ月後、孤独感の減少と生活への関心の向上が見られたが、抑うつ・認知機能・身体機能には有意な差がなかった。
この研究が言えること:RCTで、集団での音楽活動が孤独感と生活への関心を改善しうる。言えないこと:効果は一部の指標に限られ、抑うつや認知は改善せず。歌唱の効果か集団参加の効果かも分離できない。