まず、「頭が良くなる」を2つに分ける
この問いを考えるとき、いちばん大事なのは「頭が良くなる」を2種類に切り分けることです。研究の世界では、これを「近い転移(きんいてんい)」と「遠い転移(とおいてんい)」と呼びます。
近い転移とは、音楽そのものに近い力——音を聴き分ける、リズムをとる、楽譜を読む、指を細かく動かす——が伸びること。これは、練習すれば伸びるのが自然で、研究でもおおむね認められています。問題は遠い転移のほう。音楽の練習が、音楽とは関係のない一般的な知能(IQ)や学校の成績にまで波及するのか、という話です。「頭が良くなる」と言うとき、多くの人がイメージしているのは、この遠いほうです。そして、ここが最ももめているのです。
たしかに、小さな効果はあった
まず、効果を認めた代表的な研究から。Schellenberg の 2004 年の研究は、6歳の子ども144名を、鍵盤か歌のレッスンを受ける群・演劇のレッスンを受ける群・何も習わない群などに、くじ引きのように無作為に割り付けました(無作為化比較試験、RCT)。36週間ののち、音楽群のIQは他の群より高くなっていました。
これは重要な結果です。無作為に割り付けているので、「音楽レッスンがIQを押し上げた」と、因果に近い形で言える数少ない研究だからです。ただし、その差はおよそ2.7ポイントと小さなもの。IQの点は多くの人が100前後に散らばることを思うと、劇的な変化ではありません。「効果はあった。ただし小さい」——それが、この研究の誠実な読み方です。
STUDY 01 / RCT(無作為化比較試験)
Schellenberg E.G. (2004). Music lessons enhance IQ. Psychological Science, 15(8), 511–514.
6歳児144名を音楽(鍵盤・歌)群・演劇群・無レッスン群に無作為割付。36週間後、音楽群のフルスケールIQが他群より高くなった(およそ2.7ポイント)。効果は標準化された学業達成度テストにも小さく及んだ。
この研究が言えること:無作為化により、音楽レッスンがIQをわずかに高めたと因果的に言える数少ない肯定研究。言えないこと:効果は小さく、単一の研究であり、後の大規模な統合研究では再現が弱い。これだけで「頭が良くなる」とは言えない。
ところが、質の高い研究を集めると
1つの研究だけでは、たまたまの結果かもしれません。そこで、たくさんの研究を統合して全体像を見るのがメタ分析です。Sala と Gobet の 2020 年のメタ分析は、子どもの音楽訓練に関する54の研究(のべ約7千名)を統合しました。
結果は、肯定派には厳しいものでした。研究の質(きちんとした比較群があるか、無作為に割り付けているか)を考慮に入れると、音楽訓練の効果はほぼゼロに縮んだのです。小さな効果が出ていたのは、比較のしかたが甘い研究に限られていました。言いかえると、「音楽で一般的な頭が良くなる」という遠い転移は、厳密に調べるほど消えていく、ということです。
STUDY 02 / メタ分析(54研究・約7千名)
Sala G., Gobet F. (2020). Cognitive and academic benefits of music training with children: A multilevel meta-analysis. Memory & Cognition, 48(8), 1429–1441.
研究デザインの質を統制すると、音楽訓練が一般認知・学業に与える効果はほぼゼロに縮んだ。小さな効果は、無作為化のない・比較群の甘い研究でのみ現れていた。
この研究が言えること:一般認知・学業への「遠い転移」は、厳密な研究では支持されない。言えないこと:音楽そのもののスキル(近い転移)を否定するものではない。音楽教育の情操的・社会的な価値を否定するものでもない。
効果を認めた分析もある。でも、よく読むと
否定的な研究ばかりを並べるのもフェアではありません。同じメタ分析でも、Cooper の 2020 年の研究は、比較群を置いた研究に絞ってもなお小さな効果(統計的な効果の大きさで 0.21 ほど=ふつう「小さい」とされる水準)が残った、と報告しました。一見、Sala と Gobet の「ほぼゼロ」と食い違って見えます。
ところが、Cooper 自身の報告をよく読むと——研究ごとの質のばらつきまで考慮に入れたときには、その効果は 0.08 ほどにまで縮み、統計的には「ゼロと区別がつかない」水準になっていました。つまり2つのメタ分析は、厳密に見ればむしろ同じ方を向いているのです。分析の設計しだいで表向きの数字は揺れますが、いちばん質の高い証拠は「遠い転移は乏しい」側に傾いています。「完全に決着した」とまでは言えないけれど、賛否が五分五分というわけでもない——それが、いまの正確な現状です。
STUDY 03 / メタ分析(結論が手法で揺れる実例)
Cooper P.K. (2020). It's all in your head: A meta-analysis on the effects of music training on cognitive measures in schoolchildren. International Journal of Music Education, 38(3), 321–336.
比較群を置いた研究に絞ると小さな効果(およそ0.21)が出たが、研究の質を考慮に入れると 0.08 まで縮み、統計的に非有意になった。厳密に見れば Sala & Gobet の「ほぼゼロ」と整合する。
この研究が言えること:どの段階の数値を代表とみなすかで印象は変わるが、質を統制した推定は小さく、遠い転移の効果ははっきり残らない。言えないこと:単独で因果や遠い転移を確立するものではない。
相関の正体を、双子が教えてくれる
「でも、音楽をやっている子は成績も良い気がする」——たしかに、そういう関連(相関)はよく見られます。けれど、これを「音楽のおかげ」と読むのは危うい。ここで力を発揮するのが、双子を使った研究です。Mosing らの 2016 年の研究は、1万人を超える双子を調べました。
もし音楽の練習がIQを高める原因なら、たくさん練習した双子は、あまり練習しなかったきょうだいよりIQが高いはずです。ところが、遺伝と家庭環境をそろえて比べると、その差は消えてしまった。つまり、音楽とIQの見かけの関連は、「音楽が頭を良くした」のではなく、同じ生まれ持った素質が、『音楽を続けたくなる傾向』と『高いIQ』の両方を生んでいた——そう解釈するのが妥当だったのです。相関は、かならずしも因果ではない。この研究は、それを鮮やかに示しました。
STUDY 04 / 双子研究(1万人超)
Mosing M.A., Madison G., Pedersen N.L., Ullén F. (2016). Investigating cognitive transfer within the framework of music practice: Genetic pleiotropy rather than causality. Developmental Science, 19(3), 504–512.
音楽練習とIQの正の相関は、遺伝と共有環境をそろえると消失した。関連は「同じ遺伝要因が両方を生む」ことによるもので、練習がIQを高めた因果ではないと結論。
この研究が言えること:「音楽練習↔IQ」の相関の多くは、因果ではなく素質による見かけの関連。言えないこと:無作為化した実験(STUDY 01)の小さな因果効果まで完全に否定するものではない。デザインが異なる。
これは、音楽だけの話ではない
じつは「特定の訓練が、一般的な頭の良さに波及する」という考え方そのものが、近年くり返し疑われています。Simons らの 2016 年の大規模な総説は、いわゆる「脳トレ」全般を検証し、訓練した課題そのものは上手になるが、そこから離れた日常の認知や学業への波及を示す確かな証拠は乏しいと結論しました。これは音楽に限らない、共通の落とし穴です。「◯◯をすれば頭が良くなる」という話は、音楽でもゲームでもパズルでも、遠い転移のところで同じ壁にぶつかります。
——けれど、くり返しになりますが、ここで壁にぶつかっているのは「遠い力」の話です。音を聴き分け、リズムに乗り、指を思うように動かす「近い力」は、練習した分だけ、確かに育っていきます。そこは、どの研究もおおむね認めているところです。
STUDY 05 / 系統的総説(脳トレ全般)
Simons D.J. et al. (2016). Do "brain-training" programs work? Psychological Science in the Public Interest, 17(3), 103–186.
脳トレ研究を網羅的に検証。訓練課題自体は改善するが、遠い課題・日常認知・学業への転移を示す確かな証拠は乏しく、多くの研究に方法論的な欠陥があった。
この研究が言えること:「特定の反復訓練が一般知能へ波及する」という前提自体が、広く支持されていない。言えないこと:音楽を直接扱った研究ではなく、近い転移(訓練課題の上達)まで否定するものではない。