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楽譜に書かれていないもの — AIの時代に、人が奏でる意味

AIが作曲をし、歌をうたい、それらしい演奏まで作れるようになりました。「それでも音楽を習う意味はあるのでしょうか」。この問いを、私たちは他人事として考えることができません。クレッシェーレはピアノ教室を運営する会社であると同時に、AIを使った開発を事業にしている会社だからです。この記事はいつもの研究解説ではなく、私たちが自分たちの手でツールを作る中で考えたことの話です。結論を先に言えば——楽譜と演奏のあいだには、行きには書かれておらず、帰りには削ぎ落とされてしまうものが横たわっていました。そしてそれは、機械の限界の話ではなく、「では、その空白を誰が埋めるのか」という話でした。

楽譜を自動で作ろうとして、気づいたこと

この夏、私たちは教室で使うために、楽譜づくりを自動化する小さなツールを作っていました。楽譜を読み取ってきれいなデータに起こし、編集できるようにする。技術としては地味な仕事です。ところが手を動かすほどに、当初の想定とは別のことを考えさせられました。

作りながら、演奏の録音から楽譜のほうへ戻す方向——自動採譜と呼ばれる技術——についても調べていました。ここは正直に書いておくと、私たちが実装したのではなく、既存の技術を調査して分かったことです。人の演奏は、拍のとおりには弾かれていません。ほんの少し前のめりになるタメ、フレーズの終わりでふっと緩む速度、右手と左手のわずかなずれ。録音から楽譜を起こすには、こうした揺らぎを「ノイズ」として切り捨て、音符をきれいな格子にはめ直すことになります。そうして出来上がった楽譜は正確なのに、その演奏を演奏たらしめていたものは、ほとんど残らないのです。

楽譜は、音楽の「圧縮ファイル」である

考えてみれば当たり前のことでした。楽譜は、音楽そのものではありません。写真を強く圧縮すると、遠目には同じでも細部が消えているように、楽譜は音楽から多くを削ぎ落として残した「要点のメモ」です。音の高さと長さと、おおまかな強弱、いくつかの記号。楽譜が書き残せるのはそこまでで、実際の演奏を形づくる無数の決定——この音をどれだけ待つか、この和音のどの音を立たせるか、ペダルをいつ上げるか、その日のピアノの鳴りにどう合わせるか——は、ほとんど何も書かれていません

だから同じ楽譜から、無数の違う演奏が生まれます。ホロヴィッツの「トロイメライ」とアルゲリッチの「トロイメライ」は、同じ楽譜を弾いているのに別の音楽です。そしてそのどちらも「正しい」。発表会で、二人の生徒が同じ曲を弾いたのに、まるで違う演奏に聴こえた——そんな経験はないでしょうか。あれと同じことです。楽譜から演奏へ向かう道は、正解の復元ではなく、選択の連続なのです。正解は楽譜の中に書かれていない以上、楽譜からの計算で「復元」することはできません。弾く人が、決めるしかありません。

正直に言えば、AIも「それらしい演奏」は作れます

ここで、私たちは自分たちに都合の悪いことも書いておきます。「表現豊かな演奏は人間にしかできない」と言い切ってしまえば話は簡単ですが、それは正確ではありません。近年の生成AIは、聴いて心地よい歌や、人間らしい揺らぎを持った演奏データを作れるようになっています。私たちはAIを毎日使う会社として、その進歩を過小評価しません。この先もっとうまくなるでしょう。

それでも、と私たちは考えます。楽譜に正解が書かれていない以上、演奏とは「どう弾くかを誰かが選ぶこと」です。AIが作る演奏は、無数の演奏データの分布から「ありそうな一つ」を引き当てたもので、時に驚くほど個性的にすら聴こえます。けれど、その選択の背後に、そう弾きたかった「誰か」はいません。あなたの子どもが——あるいはあなた自身が——その一音を少し長く待ったのなら、そこには待った当人がいます。それは迷いだったかもしれないし、ただの癖かもしれない。それでも、その音を選んだ誰かが確かにいる。音楽の値打ちのかなりの部分は、「うまく鳴った音」そのものではなく、「誰がそう鳴らすことを選んだか」に宿っている——ツールを作りながら、私たちはそう考えるようになりました。

習うことの意味は、むしろ増えていく

楽器を習うとは、この「選ぶ力」を育てることです。最初は楽譜どおりに弾くだけで精一杯だった子が、あるとき「ここは静かに弾きたい」と自分で言い出す。楽譜に書かれていない部分を、自分の耳と好みで埋められるようになっていく。これは、完成品の音楽をいくらでも聴ける(作れる)ことと、まったく別の体験です。

AIがいくらでも完璧な音楽を作れる時代に、不完全な演奏をわざわざ自分でする。それは非効率に見えて、実は逆だと私たちは思います。完成品が無限に手に入る時代にこそ、「自分で選んで、自分の身体で鳴らした音」の価値は上がっていく——そう私たちは信じています。正直に言えば、これは予測ではなく賭けです。誰も弾かなくなる未来だってありえます。聴く側にまわるのも、立派な音楽との付き合い方です。それでも弾く側に立つ人がいるかぎり、誰かの演奏を聴いて胸を打たれる瞬間——音響だけでなく、その人の選択の集積を聴く瞬間——は、なくならないと考えています。

だから私たちは、両方をやる

クレッシェーレは、AIによる自動化を事業にしながら、ピアノ教室では「AIが教える」ことをしない、と決めています。この結論が、AI開発とピアノ教室の両方を営む私たちにとって、いちばん都合のよい結論であることは自覚しています。そのうえでなお、私たちはこう整理しています。機械に渡せるもの——事務、繰り返しの作業、そして楽譜のような記号の処理——は、どんどん機械に渡す。そうして空いた時間を、楽譜がすくい取れないもの——人が音の前で選択をする時間——に注ぎ直す。テクノロジーは主役ではなく、伴奏者。それが私たちの役割分担です。

楽譜の自動化ツールは、これからも作り続けます。それは楽譜づくりの手間を先生の手から取り除いて、先生が生徒の「ここはどう弾きたい?」に向き合う時間を増やすためです。楽譜と演奏のあいだにあるものは、機械では渡せない。だからこそ、そこにかける時間を、テクノロジーで守りたいのです。

本記事は研究の解説ではなく、クレッシェーレ合同会社の考えを述べたものです。AI技術の現状についての記述は執筆時点(2026年9月)の私たちの認識であり、技術の進歩によって変わりうるものです。

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