音楽は、脳の「ごほうび」にふれる
まず、音楽そのものが、脳にとって「ごほうび」になりうることから。Salimpoor らの 2011 年の研究は、大好きな曲で「鳥肌が立つ」ほどの快感のピークを迎える瞬間、脳の報酬系(ごほうびを感じる回路)でドーパミンという物質が放出されることを、脳の画像と神経化学の測定で示しました。しかも、曲が盛り上がる直前の「期待」の局面と、快感が訪れる「体験」の局面とで、働く場所が違っていたのです。
ただ、ここで一歩立ち止まる必要があります。「脳のここが光った=○○を感じている証拠だ」という読み方には、落とし穴があるからです。脳の同じ場所は、いくつもの異なる働きに関わっています。Poldrack が 2006 年に指摘したように、活動が見えたことから心の中身を逆算する「逆推論(ぎゃくすいろん)」は、論理的には確実ではありません。「音楽で報酬系が光った」は、あくまで関連(相関)を見たのであって、それだけで因果を証明したわけではない——ここは慎重に受け取ります。
STUDY 01 / 脳イメージング+神経化学(相関)
Salimpoor V.N. et al. (2011). Anatomically distinct dopamine release during anticipation and experience of peak emotion to music. Nature Neuroscience, 14(2), 257–262.
音楽で強い快感(鳥肌)のピークに達する瞬間、脳の報酬系でドーパミンが放出された。期待の局面と快感の局面で、働く領域が異なっていた。
この研究が言えること:音楽の強い快感に、ドーパミンの放出が伴う(神経化学を直接測っている)。言えないこと:8名と少人数で、強い音楽的快感を持つ人に偏っている。脳活動は相関であり、「その領域が快感を生む原因」とは断定できない。
「関連」から一歩、因果に近づいた研究
では、ドーパミンは音楽の快感の「原因」なのでしょうか。それを確かめるには、脳を見るだけでなく、実際に手を加えてみる必要があります。Ferreri らの 2019 年の研究は、ドーパミンを増やす薬と、その働きを抑える薬を、本人にも実験者にも分からないように投与しました(二重盲検・プラセボ対照)。すると、ドーパミンを増やすと音楽の快感とやる気が高まり、抑えると下がったのです。
これは、音楽の快感にドーパミンが因果的に関わることを示した、一歩踏み込んだ結果です。音楽を聴いて「いいな」と感じるその手ごたえには、脳のしくみの裏づけがある——そう言ってよさそうです。ただし気をつけたいのは、これは音楽を「聴く」ときの快感を調べた研究であって、楽器を練習し続ける動機そのものを測ったわけではないこと。そして薬は脳全体に効くため、「報酬系のこの場所だけが」と細かく特定できるわけでもありません。
STUDY 02 / 薬理介入(二重盲検・プラセボ対照=因果に踏み込む)
Ferreri L. et al. (2019). Dopamine modulates the reward experiences elicited by music. PNAS, 116(9), 3793–3798.
ドーパミンを増やす薬で音楽の快感・動機づけが高まり、抑える薬で低下した。音楽の快感にドーパミンが因果的に関わることを示した。
この研究が言えること:薬でドーパミン系を操作すると音楽の快感が変わる、という因果的証拠。言えないこと:薬は脳全体に作用するため領域を特定できない。効果の大きさは中くらいで、対象も限られる。
ところが、「ごほうびで釣る」と逆効果になりうる
ここで、多くの親御さんが気になるところへ。「練習したらシール」「発表会でうまくいったらごほうび」——こうした外からのごほうびは、やる気を育てるのでしょうか。心理学には、これに水を差す有名な発見があります。「アンダーマイニング効果」と呼ばれるものです。
Deci らが 1999 年にまとめたメタ分析(128の実験を統合)は、金銭やモノなど「期待できる有形のごほうび」は、それがなくなった後の自発的なやる気(内発的動機)をむしろ下げやすいことを示しました。もともと楽しくてやっていたことが、「ごほうびのためにやること」に変わってしまうのです。一方で、心のこもった言葉のほめ(肯定的なフィードバック)は、やる気をむしろ高めた——ここが大事な分かれ目です。
STUDY 03 / 実験のメタ分析(因果・128実験)
Deci E.L., Koestner R., Ryan R.M. (1999). A meta-analytic review of experiments examining the effects of extrinsic rewards on intrinsic motivation. Psychological Bulletin, 125(6), 627–668.
期待できる有形のごほうびは、報酬がなくなった後の自発的なやる気(内発的動機)を有意に下げた。一方、言葉によるほめは内発的動機を高めた。
この研究が言えること:実験の統合なので因果を主張できる。「モノで釣ると、後の自発的なやる気が下がりやすい」。言えないこと:効果は報酬の種類や与え方で変わり、「あらゆるごほうびが常に有害」ではない。
ただし、これは決着した話ではない
否定的な話を一方的に信じるのも、私たちのやり方ではありません。じつはこの論争は、時系列でいえば逆の順で起きています。先に Cameron と Pierce が 1994 年のメタ分析(96の実験)で、「ごほうびは全体として内発的動機を下げるとは言えない。悪影響は、ごく限られた条件でしか、しかも小さくしか現れない」と主張し、さきほどの Deci らの 1999 年の分析は、これへの反論として書かれたものでした。両者は大きな論争になり、いまも完全には決着していません。
ただ、これほど激しく対立する両陣営が、おおむね一致している点もあります。それは——心のこもった「ほめ」や、子ども自身の選択を尊重する関わりは、やる気を育てるということ。「モノで釣ることの是非」は揺れても、「認めて、任せる」ことの効果は、どちらの側からも支持されているのです。
STUDY 04 / 対立するメタ分析(論争の存在=両論併記)
Cameron J., Pierce W.D. (1994). Reinforcement, reward, and intrinsic motivation: A meta-analysis. Review of Educational Research, 64(3), 363–423.
96の実験を統合し、「ごほうびは全体として内発的動機を下げない。悪影響は限られた条件でのみ小さく現れる」と結論。Deci らと対立し論争になった。
この研究が言えること:アンダーマイニング効果は「あらゆる報酬が常に有害」という単純な話ではなく、条件依存で論争がある。言えないこと:ごほうびが常に安全と示すものでもない。称賛・自律性の尊重が有効な点は両陣営が一致。
続ける子と、やめる子を分けるもの
では、実際に楽器を「続ける/やめる」を分けるのは何なのでしょう。手がかりをくれるのが、自己決定理論という考え方です。Ryan と Deci によれば、人の自発的なやる気は、3つの心の欲求——「できる」という手ごたえ(有能感)、自分で選んでいるという感覚(自律性)、誰かとつながっている感覚(関係性)——が満たされると育ち、損なわれるとしぼみます。
これを、実際に楽器をやめた人たちで確かめたのが、Evans らの 2013 年の研究です。楽器学習を長く追いかけた集団(同じ人たちを何年も追った調査)を調べると、やめた人は、いちばん熱中していた頃にくらべて、この3つの欲求がいずれも下がっていました。「うまくできない」「やらされている」「ひとりぼっち」——そう感じたとき、人は楽器から離れていく。逆に言えば、この3つを守ることが、続ける力を支えるということです。ただしこれは、やめた後にふり返って答える研究なので、記憶の色づきは割り引いて読む必要があります。
STUDY 05 / 縦断コホートの回顧調査(相関)
Evans P., McPherson G.E., Davidson J.W. (2013). The role of psychological needs in ceasing music and music learning activities. Psychology of Music, 41(5), 600–619.
楽器をやめた人は、最も熱中していた時期にくらべ、有能感・自律性・関係性の3つの心の欲求が低下していた。自由記述でも「うまくできない」「強制された」「孤立」が挙がった。
この研究が言えること:3つの欲求の充足と、続けることが関連する。言えないこと:やめた後の回顧調査のため因果は確定できず、記憶の書き換え・事後の合理化の影響を受けうる。