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才能か、練習か — 「いつ・どれだけ」をめぐる研究

「うちの子に、才能はあるのでしょうか」。「それとも、練習が足りないだけでしょうか」。レッスンの場で、いちばん多く聞く問いのひとつです。この問いには「1万時間練習すれば誰でも一流になれる」という有名な答えもあれば、「結局は生まれつき」という答えもあります。研究は、そのどちらも支持していません。この記事では、才能と練習をめぐる研究が今どこまで来ているのかを、言えること・言えないことをそのままに整理します。はじめにひとつ断っておくと、この記事が扱う問い(いつ始めるか・どれだけ練習するかが、何十年か先の熟達をどう変えるか)については、因果を証明できる研究がありません。数か月から1年ほどの音楽レッスンをくじ引きで割り当てた試験は実在しますが、開始年齢や生涯の練習量そのものをくじ引きで決めることはできないからです。以下に出てくるのは、すべて相関・横断・双生児の研究です。

「1万時間」は、何を言った研究だったのか

この話の出発点は、1993年に Ericsson(エリクソン)らが発表した研究です。ベルリンの音楽アカデミーで、教授が「国際的なソリストの素質がある」と推薦した学生、同じ学科の学生、そして入学基準の異なる音楽教育学科(将来の音楽教師)の学生という3群に分け、これまでの練習時間を推定して比べました。すると、水準が高い群ほど累積の練習時間が多く、最上位群は18歳の時点で平均7,410時間、20歳ごろにおよそ1万時間に達していました(20歳の数値は論文の図から読み取られたもので、本文には記載がありません)。

のちに「1万時間の法則」として広まったのは、この数字です。ただし元の研究が示したのは「最上位群の平均が、たまたま20歳ごろに1万時間だった」という観察であって、「1万時間やれば誰でもそこに行ける」という法則ではありません。この読み替えについては、エリクソン本人が後年、明確に否定しています。

さらに近年、この観察自体がどこまで安定した現象なのかも揺らいでいます。2019年に Macnamara(マクナマラ)と Maitra(マイトラ)が、同じデザインで事前に手続きを登録したうえで再現を試みたところ、最上位群と中位群のあいだに練習時間の差は確認できませんでした。むしろ中位群のほうが平均は多いという結果でした。1993年の研究が示したはずの対応関係は、再現されなかったのです。

STUDY 01 / 横断・回顧的推定(因果は示せない)

Ericsson, Krampe & Tesch-Römer (1993), Psychological Review / Macnamara & Maitra (2019), Royal Society Open Science

1993年の研究では、音楽アカデミーの学生を3群に分けたところ、水準が高い群ほど累積練習時間が長く、最上位群は18歳時点で平均7,410時間だった。2019年の直接的な再現研究では、最上位群と中位群のあいだにこの差は認められなかった。

この研究が言えること:高い水準に達した人たちは、例外なく相当量の練習を積んでいる(練習は必要である)。言えないこと:練習が原因だとは言えない。練習時間は数十年前の記憶からの推定であり、すでに音楽院に合格した人だけを見ているため、途中でやめた人が観察されていない(選択バイアス=うまくいった人だけが残って観察されるかたより)。第3群は所属学科と入学基準が異なるため、群間の差には技能水準以外の違いも混ざる。また後年の再解析では次点の群も20歳までに1万時間を超えており、1万時間は最上位を分ける値ではない。2019年の再現研究の結果も踏まえると、上位層の内部で練習量が順位を決めるという主張自体が確立していない。

そしてもうひとつ、「1万時間」という数字が目標として機能しないことも指摘されています。Campitelli(カンピテッリ)と Gobet(ゴベー)は、チェスの研究をもとに、同じ水準に到達するのに必要な練習量が人によって大きく違うことを整理しました。マスターに届くのに最低でも約3,000時間を要する一方、同じ水準に達するまでに2万時間を超える人もいます。平均値を個人の目安として使うことに、そもそも無理があるということです。

ここで比べられているのは、チェスでマスターの称号に届くまでの時間です。自分が弾きたい曲を弾けるようになるまでの道のりの話ではありません。ただし、この幅は裏を返せば厳しい事実でもあります。同じところに届くのに、人の何倍もの時間を要する場合があるということです。そして研究は、誰がどちら側なのかを事前に教えてはくれません。

STUDY 02 / 総説(複数研究の整理。対象はチェス)

Campitelli & Gobet (2011), Current Directions in Psychological Science

チェスでマスターに達するには最低でも約3,000時間の練習が要る一方、同じ水準に達するまでに2万時間を超える人もいる。練習は「必要だが十分ではない」と結論している。

この研究が言えること:必要な練習量には非常に大きな個人差があり、一律の閾値は存在しない。言えないこと:新しいデータではなく既存研究の整理であること。そして中心的な知見はチェスについてのものであり、音楽で同じ規模の幅があるかは、この研究からは確認できない。

練習量が説明できるのは、どこまでか

では、練習量は上達をどれくらい説明するのでしょうか。Macnamara(マクナマラ)らは、88の研究を統合したメタ分析(複数の研究をまとめて解析する手法)で、この問いに数字で答えました。音楽の場合、意図的な練習(ただ弾き流すのではなく、苦手な箇所を目的をもって直していく練習)の量が説明できたのは、上手さのばらつきのうちおよそ21%でした。

残るおよそ8割は、この研究で測られた練習量では説明されませんでした。ただし、この「説明されない8割」がすべて才能というわけではありません。ここには、練習の質、教わり方や先生との相性、始めた環境、その日の集中や体調、そして練習量の測り方の粗さ(数十年分を記憶で振り返ることによる目減り)までが混ざっています。この目減りをどう見積もるかが、まさに現在の論争点です。練習量以外イコール生まれつき、ではない、というのが正確な読み方です。

なお練習量は、このメタ分析でも一貫して有意な予測因子でした。ただし自己申告による測定を多く含むため、この21%はむしろ上限に近い推定と考えられています。

STUDY 03 / メタ分析(88研究の統合。ただし元は相関研究)

Macnamara, Hambrick & Oswald (2014), Psychological Science

意図的練習が説明した成績のばらつきは、音楽で約21%、ゲームで26%、スポーツで18%、教育で4%、専門職では1%未満だった。

この研究が言えること:練習量は熟達を予測するが、その説明力は領域によって大きく異なり、「練習がすべて」ではない。言えないこと:統合された元の研究がほぼすべて相関・回顧的であるため、因果の方向は依然として不明。また「何を意図的練習と数えるか」の定義をめぐってエリクソン側との論争が続いており、説明されなかった部分をどう解釈するかは決着していない。

では、残りは才能なのか

ここで参考になるのが双生児研究です。Mosing(モーシング)らはスウェーデンの双生児1万人以上を対象に、練習量と音楽的な聴き分けの能力の関係を調べました。この論文には Practice does not make perfect(練習は完璧を作らない)という挑発的なタイトルがついています。ピアノ教室を営む私たちにとって、いちばん都合の悪い研究です。

結果は二重の意味で意外なものでした。ひとつは、練習量そのものに遺伝の影響があったこと。どれだけ練習するかという行動自体が、部分的に受け継がれた傾向に左右されていました。もうひとつは、遺伝的にまったく同じ一卵性双生児のペアで練習量が違っても、能力に差が見られなかったことです。

ただし「練習量に遺伝の影響がある」は、「練習できる子とできない子が生まれつき決まっている」という意味ではありません。ここに含まれるのは、音を面白いと感じやすいか、じっと座っているのが苦にならないか、家に楽器や音楽がある環境か(親の傾向は家庭環境も作ります)といった、たくさんの間接的な道すじの合計です。そして遺伝率が40〜70%とは、裏を返せば残りの30〜60%を環境が動かしているということでもあります。

さらに、この研究の結論の読み方には慎重さが要ります。ここで測られた「能力」は音の高さやリズムを聴き分けるテストであって、実際にピアノを弾く技能ではありません。「練習しても無駄」と読むのは、明確な誤りです。

STUDY 04 / 双生児研究(遺伝と環境を分離できるが、因果の証明ではない)

Mosing, Madison, Pedersen, Kuja-Halkola & Ullén (2014), Psychological Science

双生児10,500名を対象に、練習量そのものの遺伝率が40〜70%と推定された。練習量と音の聴き分け能力には相関があったが、その関連はほぼ遺伝要因で説明され、練習量が異なる一卵性双生児ペアの間でも能力差は見られなかった。

この研究が言えること:練習量と能力の相関には遺伝という共通の原因が絡んでおり、単純に「練習した→能力が上がった」とは読めない。言えないこと:「練習は無意味」とは言えない。測定されたのは聴き分けのテストであり演奏技能ではないこと、一般集団が対象でプロや上級者を含まないこと、練習量が数十年分の自己申告であること(双生児ペアの差を取る手法では、この測定のばらつきが効果を実際より小さく見せる方向に働く)、そして「差が見られない」ことは「効果がゼロ」の証明ではないこと。

素質と練習は、二択なのか

「才能か、練習か」という問いの立て方そのものを見直したのが、Hambrick(ハンブリック)と Tucker-Drob(タッカー=ドロブ)の研究です。彼らは双生児のデータから、音楽的な達成のばらつきのうち遺伝で説明されたのは約26%で、最も大きかったのは家庭など共有される環境の影響(約61%)だったと報告しています。そのうえで、遺伝の影響が練習していた人でより強く現れていたという関係を見つけました。

つまりこのデータでは、遺伝の影響の見え方が、練習の有無によって違っていたということです。素質と練習を、切り離した二択として考えるのは難しそうだ、という示唆になります。ただしこれは「練習が素質を開かせた」ことの証明ではありません。練習するかどうか自体に遺伝の影響があるため、素質のある子が練習を選びやすかった、という説明も同じデータで成り立ちます。この研究はまさに、音楽的な素質を持つ親が、遺伝と同時に音楽的な家庭環境も子に与えているという関係(遺伝環境相関)も報告しており、「レッスンが素質を開花させた」とは区別がついていません。

STUDY 05 / 双生児研究(遺伝と環境の相関・交互作用を検討)

Hambrick & Tucker-Drob (2015), Psychonomic Bulletin & Review

音楽的達成のばらつきのうち、遺伝で説明されたのは約26%、家庭など共有される環境の影響が約61%だった。遺伝が達成に及ぼす影響のうち練習を経由して説明できたのは約4分の1にとどまり、また遺伝の影響は音楽の練習をしていた人でより強く現れていた。

この研究が言えること:素質と練習を単純な二択として切り分けることは難しい。遺伝の影響の現れ方が、練習の有無によって異なるという観察がある。言えないこと:練習は無作為に割り当てられておらず、練習するかどうか自体が遺伝と相関しているため、「練習が素質を開花させる」という因果的な読み方はできない。こうした交互作用は測定尺度の取り方にも左右される。また1962年に米国の高校生を対象に集められた既存データの再解析であり、達成度も高校生時点の自己申告である。

「早く始めないと手遅れ」はどうか

もうひとつよく聞くのが、開始年齢の話です。早く始めた人ほど上手い、という観察自体はくり返し報告されてきました。ただし、早く始めた子は結果として練習の総量も多くなりますし、幼いうちから音楽に触れられる家庭環境にもあります。この2つを取り除いても、開始年齢そのものの効果は残るのでしょうか。

Wesseldijk(ウェッセルダイク)らはプロの音楽家と双生児のデータを組み合わせて、この点を検証しました。結果は、開始年齢の優位のうち達成度に関する部分は生涯の練習量を揃えて計算すると消え、残った適性についての関連も家族に由来する要因(遺伝と家庭環境)でほぼ説明できたというものでした。

ただし公平を期すために書き添えると、この研究が測ったのは主に音を聴き分ける能力です。手の動きを正確なタイミングで合わせる運動の課題では、訓練量を揃えても早期開始者が優れていたという報告があります(Watanabe ら 2007)。両者は測っている能力が違う可能性があり、決着はついていません。

それでも、まとめて言えることはあります。開始年齢の効果として見えていたものの多くは、その後に積み重なった練習量と家庭の環境で説明がついてしまいました。「何歳までに始めなければ手遅れ」と言い切れる証拠は、今のところありません。遅く始めたことや、大人になってから始めたことを、後ろめたく思う必要はないということです。

STUDY 06 / 双生児研究+プロ音楽家サンプル(反証にあたる知見)

Wesseldijk, Mosing & Ullén (2021), Psychological Science

プロ音楽家310名と双生児7,786名を分析。開始年齢が早いほど音楽的な適性・達成度が高かったが、生涯練習時間を統計的に揃えると達成度との関連は消失し、残った適性との関連も家族性の要因で説明された。

この研究が言えること:「早期開始の優位」の多くは、練習量の多さと、恵まれた素質・家庭環境という交絡(別の原因が両方に効いていて、見かけ上の関係が生まれること)で説明できる。「◯歳までに始めないと手遅れ」という主張の根拠は弱い。言えないこと:測定は聴覚的な適性が中心で、運動の同期課題は含まれていない。したがって運動面での早期開始の効果を否定したわけではない。

ひとつ、正直にお伝えしておくこと

まず、この記事はピアノ教室を運営する会社が書いています。音楽を続けてほしいという立場があることを前提にお読みください。そのうえで、この記事にとって都合の悪いことも書いておきます。

ここで紹介した研究は、いずれもレッスンに通うことの効果を検証したものではありません。音楽教室に通うと何がどう変わるのかについて、ここに書いたことを因果的な根拠として使うことはできません。また、必要な練習量に大きな幅があるという事実は、裏を返せば、同じところに届くのに人の何倍もの時間を要する場合がある、という厳しさも含んでいます。どれだけの時間を音楽に充てるかは、上達の見込みだけでなく、その時間がその子にとって楽しいものかどうかを含めて、ご家庭で決めていただくことだと考えています。

方法論の限界も書いておきます。ここで紹介した研究はすべて相関・横断・双生児のデザインです。冒頭に書いたとおり、開始年齢も生涯の練習量もくじ引きで決めるわけにいかない以上、これは簡単には解決しない制約です。ですから、ここに書いたことはどれも「こういう関連が見えている」という段階の話で、証明ではありません。

そして遺伝率という数字について。これはある集団の中でばらつきがどう分かれるかを示す統計であって、目の前のひとりの子どもの「才能の割合」ではありません。さらに遺伝率は、その集団が置かれた環境の幅に依存する数字です。同じ性質でも、環境が変われば遺伝率の値そのものが変わります(実際この記事の5つ目の研究が、練習の有無で遺伝の影響の現れ方が違うことを示しています)。固定された「才能の取り分」を表す定数ではありません。現時点で、才能の有無を判定できる検査は存在しません。これは裏返せば、ある子に見込みがないと早い段階で言い切れる根拠も、どこにも存在しないということです。

研究が言えること

  • 高い水準に達した人は例外なく相当量の練習を積んでいる。練習は必要である
  • 一方で、練習量が説明できたのは音楽の熟達のばらつきの約21%だった
  • 同じ水準に達するのに必要な練習量には、チェスの研究では数倍〜10倍規模の個人差が報告されている(音楽で同規模かは未確認)
  • 素質と練習を単純な二択として切り分けることは難しい(遺伝の影響の現れ方が練習の有無で異なる、という観察がある)

まだ言えないこと

  • 「1万時間練習すれば誰でも一流になる」— 元研究はそう述べておらず、再現研究でも支持されなかった
  • 「練習しても意味がない」— 双生児研究が測ったのは聴き分けの能力で、演奏技能ではない
  • 「◯歳までに始めないと手遅れ」— 開始年齢の優位は練習量と家庭環境でほぼ説明できる
  • 個人の才能の有無。遺伝率は集団の統計であり、ひとりの子どもには適用できない
  • 音楽のレッスンに通うことで何が変わるか。ここで紹介した研究はいずれも通塾の効果を検証したものではない

比べにくい、ということ

ここから先は、研究から導かれることではなく、私たちの考えです。

研究を通して見えてくるのは、「才能があるか」も「練習が足りないか」も、現在の科学では個人について答えられない問いだということです。そして必要な練習量にこれほどの幅がありうるのなら(チェスの研究ではありますが)、「あの子と同じ時間で、同じところまで行けるか」という比べ方には、私たちはあまり意味がないと考えています。同じ道を、同じ速さで歩く前提が、そもそも成り立っていないからです。

私たちがレッスンで大切にしたいのは、その子が今どこにいて、少し前の自分からどう変わったか、というものさしのほうです。才能の有無を見極めることはできませんし、見極める必要もないと考えています。音楽をすすめる理由は、脳が変わるからでも、上達が保証されるからでもありません。弾けたときのあの一瞬が、それ自体で豊かだと考えているからです。

参考文献

  1. Ericsson K.A., Krampe R.T., Tesch-Römer C. (1993). The role of deliberate practice in the acquisition of expert performance. Psychological Review, 100(3), 363–406. DOI
  2. Macnamara B.N., Maitra M. (2019). The role of deliberate practice in expert performance: revisiting Ericsson, Krampe & Tesch-Römer (1993). Royal Society Open Science, 6(8), 190327. DOI
  3. Campitelli G., Gobet F. (2011). Deliberate practice: Necessary but not sufficient. Current Directions in Psychological Science, 20(5), 280–285. DOI
  4. Macnamara B.N., Hambrick D.Z., Oswald F.L. (2014). Deliberate practice and performance in music, games, sports, education, and professions: A meta-analysis. Psychological Science, 25(8), 1608–1618. DOI
  5. Mosing M.A., Madison G., Pedersen N.L., Kuja-Halkola R., Ullén F. (2014). Practice does not make perfect: No causal effect of music practice on music ability. Psychological Science, 25(9), 1795–1803. DOI
  6. Hambrick D.Z., Tucker-Drob E.M. (2015). The genetics of music accomplishment: Evidence for gene–environment correlation and interaction. Psychonomic Bulletin & Review, 22(1), 112–120. DOI
  7. Wesseldijk L.W., Mosing M.A., Ullén F. (2021). Why is an early start of training related to musical skills in adulthood? A genetically informative study. Psychological Science, 32(1), 3–13. DOI
  8. Watanabe D., Savion-Lemieux T., Penhune V.B. (2007). The effect of early musical training on adult motor performance: evidence for a sensitive period in motor learning. Experimental Brain Research, 176(2), 332–340. DOI
  9. Schellenberg E.G. (2004). Music lessons enhance IQ. Psychological Science, 15(8), 511–514. DOI

本記事は、査読付き学術論文に基づく一般向けの解説です。特定の教育効果や健康効果を保証するものではありません。研究の解釈には限界があり、今後の知見によって更新される可能性があります。医療・健康上の判断については専門家にご相談ください。

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